神さまからのギフト

先日のクラフトマーケットへの出店を経て、自分の内面に大きな変化が生まれたように感じる。

自分が作り出したものを気に入って手にとってくれる人がいて、自分が身体に触れることで心地よく感じてくれる人がいて、それを間近で垣間見たことで、自分の存在価値を見出すことができた。と言おうか、自分はこれでいいんだと思えた。と言おうか、とにかく、「わたしはわたしのままでいい」ということを、ようやくハラに落とし込むことができたような気がする。

人のいいところを見つけて、その人のありのままを受け入れるということがわりと得意で、人にはなんとでも言えたのに、いざ自分ごととなるとモヤモヤは収まらず、自分は存在していていいのか、なんのために生まれてきたのか、いつも心のどこかで生きる意味を探していたのだと思う。

保育士をやっていた時だって、

パン屋をやっていた時だって、

今までだってやってきたことは同じで、喜んでくれる人はたくさんいて、人の役にも立ってきて、、、

だったはずなのに、それを素直に喜んで受け取ることができずにいた。いつもどこかで不安で、疑問で、モヤモヤして、居心地が悪くて苦しかった。だから、続けられなかったのだと、今ならその理由がわかる。

簡単に言ってしまえば、わたしは自己肯定感が低すぎる人間だったということ。

生きているだけで二酸化炭素を出し、地球のためによくないごみを出し、生きているだけで誰かを、何かを傷つけ迷惑をかける。そんなことにばかりフォーカスを当てて怯えて生きてきてしまっていた。

自分で自分のことをそんな風に言うと、また違った意味であれだが、、、

客観的に見れば、

自分がこうしたいと思ったことに進んでいけるバイタリティーがあって、

貪欲に学びたいという意思があって、

手先が器用でものづくりが得意で、

パンを焼くことができて、

踊りを踊って、

人を癒すことも。

きっと他にもたくさん、できることはあるのだろう。

(できないことももちろんたくさんあるけれど、、、)

そして、それを実現させるために必要な環境も、いつも家族、両親、周りの人がサポートしてくれて可能にしてくれる。

こんなにもたくさんのギフトを神さまはわたしに与えてくれていたのに、それを素直に感謝して受け取ることができなかった。

齢38を目前にして、両親にも、ご先祖さまにも、この世のすべてに対してすごく申し訳なく思うと同時に、今、深い深い感謝の気持ちと、突き抜けたすがすがしさに満ちている。

申し訳なさすぎてあまり両親にはこの文章を読んで欲しくないのだけれど、もし読んでいるのだとしたら、

「ありがとう。わたしは大丈夫。心配かけました。だけれども、きっとこれからも心配かけます。よろしくね。」

と伝えたい。

場が整ったら、わたしを生かして育ててくれているこの世への恩返しの意味も込めて、わたしの持てる技すべてを駆使して、自分と誰かを癒すヒーリングルームとして開放しようと思う。

だから、Ayurveda salon nila*salaではなく、Healing room nila*salaという屋号にしたのだ。

すべてのものへ、ありがとう。

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